何故、”老後”ではなく、”定年後”か

今月末で定年退職する。何故、老後でなく、定年後なのか?老後の実感がないからだ。気力がないわけでもなく、燃え尽きたわけでもない。もちろん不安はたくさんあるが、極めて普通だ。大きく変わったのは、毎日に行く会社もなく、出るべき会議もない。会社に行ってビール飲んで寝る、当たり前であるはずの一日ルーティーンがなくなる。当たり前の事であるが、これまで経験したの事のない環境だ。
定年後こそ変化への対応が必要とされる
ビジネスにおいて、変化の対応が重要と言われるが、個人の人生において、もっとも変化を求められるのが定年後だ。これまで生まれてきてから60年間、全てレールは引かれていた。そこを歩んでいけば、以下のような状況はない。学校では大人になるために先生が寄り添って導いてくれた。会社では目標をチームと共有してきた。定年後こそ変化を求められ、老人こそ時代への適用能力が必要とされている。そして、一番大事なことは、老後のミッションは自分で創出しなければならない事だ。
- 毎日行くところもなくなる
- 会議もないので話す相手もいなくなる
- 当然、収入はなくなる
- もはや今後の人生に寄り添って、導いてくれたり目標を共有してくれる人は誰もいない
- 人生の新しいミッションが必要になる

定年後に突然、選択を求められる
定年を目前に控えた今、以下のような選択が求めらている。このブログでは私自身の”定年の選択”を共有して行きたい。ネットで老人を検索するとその結果は老後2,000万円問題を始めとした老後資金ばかりだ。しかし、直面してみると様々な選択を問われている。その一つひとつの手続きやプロセスは複雑で手間もかかる。正しい選択、失敗談全ての経験情報が判断材料になる。共有して、共に新しい人生のステージを歩んで行きたい。
定年後の選択肢
- 老後設計
- 仕事(シニア延長か再就職か、起業か)
- 老後資金(必要経費と資金、そして投資)
- 心体ともの健康維持
- 食事
- 人間としてのミッション
愉快な老後、薔薇色の老後はもはやない
昭和の時代、定年を迎えると60歳で愉快かつ薔薇色の老後が来ると言われてきた。現実に世界一周の卒業旅行やペンションを始める人など、羨ましく見えた、寿命も伸び、政府も70歳までの定年延長を求めている。この時代の老人の役割と諦め、新しい人生の始まりとその選択をこのブログで考えて行きたい。